柳は緑 花は紅

世界は愛に満ちている…猫と音楽と、ちょっぴり不思議なことが好き!

珍しく夜の総踊り教室

今日は東区初の夜の練習でした。もう、8月の練習も今日が最後です。
 
ゆたか先生も忙しいせいか、何故か教室では饒舌になりがち。
今日も色々と話してくれました。
 
まず、踊るということの段階について。
振りを覚えるのは形を作ることだと。
その形に、曲を作った人の思いや考えを水を注ぐように入れて行くことなんだそうです。
 
だから今の私たち、その形を作っている段階。山登りで言ったら1合目の状態なんですって。
10年踊ってきて、いつでも水を注ぎながら踊れるのは1曲だそうです。
ちょっとでも気持ちを込めて踊り続ける、より精神を高めながら。そうやって踊っている人が
長く踊り続けている人。どんなに踊りが上手くても、それが出来ない人はいつか辞めて行くって
言ってました。
 
ついつい踊りと歌、比較して考えてしまうんだけど、私にそういう曲があるかな。
わが身を振り返ってみた時、もう20年以上も歌っているけどそういう曲があるのか…。
確かに暗譜して歌った曲はたくさんあるけど、いつでも水を注ぎながら歌える曲と言われると
自信がないなぁ。
 
いつでも1合目どまりなような気がしてしかたがない。
 
 
 
 
また、踊っている私たちは踊りの持つエネルギーをお客さんへ届けるための筒なんですって。
歌う時ってとかく自分がしゃしゃり出がちだけど、踊りは違うみたい。
だからより巫女っぽいのかな。そして、今の私が惹かれるのはそのせいかも。
でも、昔の教会で歌っていた人たちはやっぱり筒だったと思う。神の意向を伝える筒。
本来の教会で歌われる宗教曲は好きなんだよね。
 
踊りを踊りながら、歌についても深く考えさせられた日だった。