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アレクサンダー・テクニーク

昨日は、算命学9期、研究会と続いたあとに、〆にアレクサンダー・テクニークのワークショップに参加して来ました。




アレクサンダー・テクニークとは何ぞや?と言う方は、こちらをご覧下さい。

http://ja.wikipedia.org/wiki/アレクサンダー・テクニーク

私的に感じたのは、身体の不必要な動きや緊張を取り除くと、本来備わっている自然な動きが発動するというもの、かな?

ワークショップを受けに来た人達は、趣味でバイオリンを弾いている人やゴスペルを歌う人、アコーディオンを弾いてる人など、音楽関係の方が多かったですかね。

でも、電話のオペレーター、営業職で声が疲れる、会議で大きな声が出ないとか、楽器を弾くようになって手が変形したなど、悩みは多岐に渡っていました。

教えて下さったのは、香西克彰さん。
トランペットを学び、合唱の指揮などもされる方です。

とても多才で興味範囲の広い方のようで、古代中国が好きだったり、お能も習っていたりして、色々なアプローチでアレクサンダー・テクニークを伝えようとする姿勢に好感が持てました。

中でも印象的な事が幾つかあったのでご紹介します。

ひとつ目は、最初にモデルになった方が横になって、香西先生が首を触ると首を持ち上げました。
すると、「何もしないで下さい」と言われた事。
女性は良くわかると思うんですが、美容院で頭を洗ってもらう為にイスを倒す時には絶対に首を緊張させて倒れますよね。
だから、自然と首や頭を触られると自ら持ち上げる クセ のようなものがあると思うんです。
でも、それをやめましょうという事です。
ノン・ドゥーイング、間違ったことを辞めると言います。

二つ目は、日本には昔は間(あわい)という表現があったそうで、家なども外と内のあいだに土間というあわいがあったというんです。

外の人は土間には入れるが、内には入れない。
内に入れるのは身内だけなんですが、完全な外では無いあわいには外の人でも入れる。
けれど、今の世の中は外と内しか無いんですって。
間(あわい)が無い。

例えば、指揮をしている時、間違った人がいたとすると、外と内しか無い場合、指揮棒で譜面台をカツカツ叩きながら、「何でそこ間違ったんだ!」と言います。
昔は自分もそうだったと、笑って香西先生は言っていました。

でも今は違います。
間違おうと思って間違う人はいないのだから、そこはもっとこういう風にしたらいいんじゃないかな?という風に言うとおっしゃっていました。

ナルホドー!

そして三つ目、古代中国では六つの芸が大切だと言われていた話。
儒教の言葉のようですね。

六芸
http://ja.wikipedia.org/wiki/六芸

礼 楽 射 御 書 数
という六つの芸を身につけることが士としての教養だったと言う事で、ここでもまた香西先生、ひときわ冴え渡ります。
礼という字と楽という字の象形文字を書き、成り立ちを説明して下さいました。礼は神に捧げるもの、楽はその時に奏でるものだそうです。

現在の学校教育はあまりに書と数に偏り過ぎているともおっしゃっていました。



ワークショップを終わってみると、ストレッチをした訳でも無いのに身体が楽に動き、発声をした訳でも無いのに声が楽に出ました。

1日20分セミスパインをするだけで、随分と身体が変わるそうです。
あまり深く考えずに参加したワークショップでしたが、得る事が多かったです。